ひなた堂雑貨典

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徒然なるままに、日暮しPCに向かひて。心に移り行くよしなしごとを。

新のび太の大魔境の表現が、現代の過保護な大人のエゴを表していないか?

今日はドラえもんの「映画 のび太の大魔境」がテレビ放送されていた。
ドラえもんは正直旧ドラえもんで育った私にはどうしてもいただけなくて元から観ないけれど、今回は一応全編観てみた。
すると、原作大長編ドラえもんのび太の大魔境」とは異なるシーンがあった。
新ドラは旧ドラの既存の展開を、何故なのか全く分からない理由で変更する事が多く、旧ファンとしてそこがどうにもひっかかるのだが、特に印象に残ったシーンをひとつ紹介する。
 
まずはさらっと状況を。
映画恒例のゲストキャラ、ひょんなことからのび太の飼い犬となったペコの正体は、人知れず存在する犬の文明王国の王子クンタックだった。
それが何故日本で普通の野良犬のようにしていたのか。
彼の王国は代々名君の元で平和な暮らしをしていたが、クンタックの父王の代に野心を抱く大臣が謀反を企て、父王は暗殺されてしまう。
(因みに大臣の目的は、永らく封印されていた兵器を蘇らせ世界征服をするというもの。原作では父王はこれを知り大臣を糾弾した末に暗殺されるのだがこのくだりも何故かカットされている。)
そして当然王子クンタックも抹殺されそうになるも、運命が味方し生き延びて、図らずも人間の世界に脱出し今に至る…のだが。
 
ここが原作とは変更されているのである。
 
原作は、父王暗殺の後密かに王子も捉えられ、表向きは病死として、実際は薬で眠らされ棺に入れられ生き埋めにされそうになるも、葬送の途中棺が外の世界に繋がっていた川に転落し…。
という流れ。
 
で、新ドラはというと。
王子は陰謀で父王暗殺の嫌疑をかけられ、兵士に追われた末、大臣の息のかかった兵士と立ち回りの末に崖から川に転落し…という流れに改変。
 
いや、確かにどっちであろうとストーリーは変わらないのである。
剣による立ち回りのシーンなんかは、クンタック王子のかっこよさを引き立てる演出にもなるだろう。
 
んだが、私としては前者の方がより卑劣な悪大臣という印象や、王家にまつわる陰謀らしくていいと思うのだけど…。
なんでわざわざ変更したのか?
 
多分…だけど、原作版は結構エグいといえば、エグい。
生きたまま葬られるとか、子供心にも怖いものだったから、今の世で子供に見せるに相応しくないいと判断されたのかなーと思うのですが。
だとしたら随分過保護な考え方じゃありませんかね?
そりゃあ怖いが、もうなんか最近はなんでもかんでも
「子供に悪影響!子供のために悪しきものは見せるな知らせるな!」
という風潮が強くて嫌だ。
悪しきものがなんなのか、っていうのも、大人が過剰反応し過ぎの判断で、もうコレかえって子供に良くない気がするんですけれどねぇ…。