ひなた堂雑貨典

ひなた堂雑貨典

徒然なるままに、日暮しPCに向かひて。心に移り行くよしなしごとを。

マツイ棒をキーボード掃除に使ってみたけれどあまり感動はしなかった。

マツイ棒でググった所、キーボード掃除に良いという情報があったので早速myパソコンさんのキーボードをお掃除してみました。

結果として、一応ホコリが多少とれたのですが…やはりそこまでの感動ではないですね…。うーん微妙。

 

今更だけどマツイ棒を作ってみたものの使い方が分からない。

先日、アニメ銀魂を軽く話題に出して、しかし銀魂ネタやりません宣言をしておいてなんですが、(多分)2話ってマツイ棒ネタでしたね。

実はあのマツイ棒回の数日前、本当にたまたま、ハギレとも呼べないレベルのボロ布の端っこが出たのでなんとなくマツイ棒作ってみたのですが。

どうやって使うんだコレ…。

一世を風靡した掃除道具なのはわかっているのですが、一体どこに使うのかさっぱりわかりません。
銀魂では窓のサッシが使用例で出ていた記憶がありますが、そもそも窓のサッシ掃除自体ベランダ拭きにつかったボロ布の成れの果てみたいなものでささっと拭いて終わりで、それで特に困った覚えもない。

細かい所と言われても、どうもピンと来ない。

ネットでサーチすればすぐ出てきそうなので早く調べないと、マツイ棒自体が邪魔なゴミと化してしまいます。

今軽くググったのですが、検索候補に「マツイ棒 価格」と出てきて「えっこんなもんわざわざ商品としてお金出して買うの!?」と驚いています。
セレブな奥様が高級マツイ棒をトレンドアイテムとして求めるのでしょうか…。

流行したとたんにそれまで散々ディスってきた物を手のひら返して賞賛して乗っかってくる連中にイライラする(古い時代を生きていたオタク編)

4月30日。今日を特別に扱わなくなって、もうどれくらい経つのでしょうか。

今日は、私が学生時代それはもう好きだった漫画のキャラクターの公式設定誕生日でした。

祝う気持ちを示したくて、いつもは飾りっけのない学生鞄にこの日限定でキャラのマスコットキーホルダーを付けて登校したりしたものです。
しかし、悲しいかな割りとマイナーというか人気のないキャラだったこともあり、そして当時はキャラグッズを堂々と身に付けるという風潮も全くなかったため、登校中いろんな人に指さしてプークスクスされたという苦い思い出ででもあります。

今となっては、ラバストをぶどうの房のごとく大量につけた携帯や、好きなキャラの缶バッジをスパンコールのように一面に散らした痛バックとかが、普通とは言いませんが
「まあ変わってる人だけどそういう人いるねーよっぽど好きなんだろうなー」
ぐらいのぬるい視線でスルーされるようになりましたね。

なんだろう、良い変化だと思っていたはずなのに猛烈に悔しい気がしてきました。
…もしあの時、プゲラしてった女子の中に今嬉々として痛バッグとかやってる人がいたら、缶バッジ一個ドサクサに紛れて凹ましてやりたいです。

蒸し暑い日本の暑さには扇風機が有効。ついでにカバーを付けて簡易空気清浄機にならないか試してみる。

暑い暑いと、とうとう扇風機を導入しました。
今年は背面に100均のカバーをかけてみました。扇風機カバーは子供の事故防止用の前面につけるタイプと、ホコリ取り用に背面につけるタイプがありますが、後者です。
去年は存在は知っていたのですが、売り切れたのか見つからなかったので春先に買っておいたのです。

まあ、送風機にカバーの宿命で、どうしても風力は弱ってしまうのですけれどね…。
それでも弱風で乗りきれる程度の季節ですし、部屋のホコリを吸い寄せているわけですから簡易的な空気清浄機のつもりで使っています。
目も適度に粗めなので、すぐに詰まる事もなさそうですし。
ダイソーで二個入り108円でした。おすすめできるかは、まだ実験中ですが。

昨年も5月でクーラー使用を勧められる事態になったので、早めの暑さ対策としてすだれを導入。保管はキチンとしないといけなかった。

暑い!!
先日まで雪が降るわ寒くて冬用パーカー被るわしていたのに、急に初夏になりやがりましたね。
私の部屋は特に放っておくと暑くなりやすいので、今日窓にすだれをかけました。

環境省による熱中症対策のウェブサイトでもすだれ・よしず・シェードを窓の外に設置する事は推奨されています。

www.wbgt.env.go.jp

しかし、ひとつ問題が。
去年のシーズンオフからは窓の外にくるくると巻いた状態でスズランテープで留めていたすだれ1号(100均の物を2個連結)と違い、すだれ2号(ドラッグストアで8月頃に叩き売り価格)は夏が終わった後適当にベランダに放置した結果、引っ掛ける上の竹部分がものすごくカビてしまったのです…。
立てて置いておいたつもりが、風雨で倒れ水を吸い…。
かろうじて腐ってはいなかったので、とりあえず設置し強烈な日差しに晒してみましたが、これはもしかするとカビをまき散らして良くないのかな…なんて気になってしまいます。
開けて換気する窓ではないのですけれどね…。
でも買い直すのももったいないなぁ。まだ使えるのに。
天日干しでカビも死んだりしないでしょうか。

今回の原因は、すだれ掛けと窓の形状が相性悪くて、1号のようにかけっぱなしに出来なかった事なので、すだれ掛けの方を少し改造することも検討します。

世にも奇妙な物語だらだら感想~3話目、ゴムゴムの実編~

世にも奇妙な物語3話目、「ゴムゴムの実」
例によって内容を知っている事前提、ネタバレGOGOで行きますのでご注意。

 

 

まさかのワンピースコラボ回。
開始前のカットで尾田栄一郎氏との特別コラボであること、サブタイトルからワンピース的な要素を含む事は想像がつきますが、一体誰がここまでの内容だと予想したでしょう。

ゴムゴムの実の設定もそのままなら、ついにはテレビからルフィご本人様が登場。
クライマックスの(本来主人公であるはずの)ヤクザゴム人間のピンチには御本家様が大暴れして事件解決。
お帰りもテレビからかと思いきや、そのまま東京湾にルフィ御一行様の船が迎えにやって来る。

世にも奇妙な物語」なので、ホラーやミステリーだけとは限らないのがこのドラマの面白いところであり、相当ぶっ飛んだ話でも「奇妙」には違いなく、面白ければそれで良しと色々な作品を見てきましたが、ここまで口をポカンと開けて唖然としたのも初めてでした。

「ワンピース」の熱い世界を現実の日本でやると、こういう話になるという事なのか…?
面白い話だった。でも、自分ではあまりの突飛さにそれくらいの事と、後は正直有名作品を出して客寄せパンダ的な意味しか見いだせずどうしたものかと思っていたら父がいたく感心していました。

いわく、「アニメと実写はここまで融合出来るようになった。それだけの技術になったという事を、誰もまだやっていなかった。他局は今頃『やられた!』と思っているはずだ」

確かに!
絵やイラストの事はさっぱり分かっていない私ですが、3Dアニメーションを動かすという事は今の技術を持っても大変だという事は理解しています。
今回の「ゴムゴムの実」ではあまりのストーリーに唖然とはしても、ルフィと阿部寛が並んで会話している事自体は意外な程自然でした。
いや、違和感が無いというわけではないです。
でもアニメキャラが実写世界にいるというのは、ちょっとでも間違えば相当な違和感です。奇妙を越して変になってしまいます。
絵面だけでギャグになるのは成功している物で、もっと陳腐過ぎて観るに耐えないとか、アンチアニメ・漫画な人間から気持ちが悪いと総叩きになってしまう。
それがありませんでした。

確かに、あのドラマの中にはルフィが息づいていました。
現実の世界に近い所に、ルフィがいた。
「ありえない」のは当たり前です、「世にも奇妙な物語」とはそういう趣旨のドラマなのです。それすら逆手に取っている。

近年のぶっ飛んでる話枠としては、かなり良作なのではないかと思います。

世にも奇妙な物語の考察。2話目「自縛者」因果応報の性悪説。

世にも奇妙な物語二話目「自縛者」の感想。
例によって、ドラマで観ていることを前提に好き勝手に感想を書くだけで、ネタバレもしているのでご注意ください。

 

正直この話、今回の中ではあまり印象がない話です。
(次の「ゴムゴムの実」があまりに強烈だから相対的にそうなったのかも知れませんが)

ヒロインも最後には父親を見殺しにした罪悪感で自縛者になってしまうけれど、家族満場一致で
「あんたは罪悪感持つ必要ないよ!!」
という同情ムードでした。
だって、ねぇ。いくら肉親でもあれだけひどい目に最後まで遭わされていたら、そりゃあ仕方ないよと。
情状酌量の余地がありすぎる。

まあ、この話の本質ってそうではないのでしょう。
自分の我が儘好き勝手放題に生き、余命いくばくも無くなっても昔捨てた娘に金を無心し当たり散らす、そんな悪人は自縛者にならないで、あれだけ酷い環境で育っても、明るく真っ直ぐな善人になった主人公が自縛者になってしまう。
理不尽な事です。
あの母親も口では「自業自得のバチが当たって病気になったんだ」なんて言いますが、そこに反省とか後悔とか、この話で言う所の罪悪感は無いのでしょう。
少なくとも、自分で自分を石にしてしまうような葛藤とかはないわけです。
やけっぱちになっているから「あーはいはいそうなんでしょ」位の適当な気持ちで言っているに過ぎない。

憎まれっ子世にはばかるというか。でもそういうことは現実にままあるよね、という。

でも、それだとあまりに救いも意味も無くなってしまいそうなのでもう少し考えます。

この話は、性善説性悪説の話なのだと思うのです。
最後の主人公のモノローグが「人は誰しも罪を背負っている。それに気付くか気付かないかなのだ」というような内容でした。(うろ覚えなので勝手に変えている可能性がありますが)
誰もが悪人なのです。

中盤までの主人公は、社会福祉NPOで一生懸命に働いて、自縛者の事にも必死で親身になろうとしますが、観ているこちらからするとそれがあまりに滑稽に見えるのです。
主人公の考える自縛の原因は「愛着」。
愛です。
ペットの犬の墓の側にいる自縛者に「きっと○○(犬の名前。忘れてしまいました)もあなたを許してくれる、あなたがそんな風になっていることなんか望んでいない!」と語りかける。
人は誰しも善い心を持っている。愛ゆえに自分を縛ってしまう。でも大丈夫、誰も人を縛る事を望んだりしない!
キラキラした世界観です。愛と夢と希望が最後に残るハッピーな世界です。つまり性善説

一方で実際の主人公の生い立ちや現在はというと、そんな世界とは真逆の残酷で悲惨なものです。
だからこそ、キラキラハッピーな世界を信じたいのだろうし、そう振る舞うのでしょうが、傍から見れば痛々しい。可哀想を通り越して愚かしいと思う程に。

そんな彼女も、今まで見てきた自縛者、自縛者になってしまった恋人、そして自分の過去と向き合った結果自縛者になってしまう。
必死で目を背けて無いものと思っていた罪、人の汚い部分に気付いてしまう。
そして「人は誰しも罪を背負っている」。この世界は性悪説の世界なんだと語る彼女は、母親が入院している病院の前で石になっていくわけです。母親のいる病室を睨むような形で。
この場所なのは、彼女が選んだわけではないでしょう。「たまたま」見殺しにした最低な父親と同じ病院に、最低な母親が今入院しているだけで。
彼女が自縛者になってしまったことは、病院関係者が騒いでいましたからすぐに母親の知る所となるはずです。完全に石になってしまうまでは流石に撤去もされないようなので、しばらくあのまま在るはずです。
さて、あの図太い憎まれっ子の母親はどうなるのでしょう。
娘の罪は知らないでしょうし、どうして自縛者になったかまでは分からないと思います。でも、恨みがましい目で自分の部屋を見据えて立ち続ける娘に、今までのように軽口を叩くだけで過ごせるものでしょうか。
カーテンを閉め、部屋を変えて、石になった娘が撤去されたとして、それで寿命が尽きるまでケロッと生きていけるのか。
「自分もああなってしまうのではないか」
そう思った瞬間に、母親もまた、自分の罪と向き合う羽目になるのではないでしょうか。

因果応報。彼女自身が自分はそうだと口にしているのですから。

これが、この話のダークさかな、という感想でした。